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菅新総理とのつながり [日記]

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今日午後、菅政権が発足する。衆議院議員の任期があと1年余という、いつ解散が行われてもおかしくない時期での発足、コロナ渦での政治の季節到来である。

新総理の菅氏は、秋田の出身だが、同じ苗字の秋田出身者に菅礼之助という経済人がいた。東京電力の会長として経団連の評議員会議長も務めた。その人物と新総理は、遠戚だという。ウィキペディアによれば、礼之助の出身地は雄勝郡秋ノ宮村であり、まさに新総理と同郷である。

礼之助は、鉱山経営に生涯を捧げた企業経営者であり、政府の石炭庁長官や石炭を発電に使う東京電力会長も務めた。そういう人物を遠縁に持つのだから、新総理は片田舎の農家の家を飛び出し、東京で一旗揚げたというだけの成り上がり者だとするのは誤りなのかもしれない。菅新総理は、地方の名家出身といえる存在なのかもしれない。

私の前職は、経団連の事務局員であるが、そこにも菅(すが)という人がいた。私が入局した1980年には、もう鬼籍に入っていて、仕事をご一緒できなかったが、その菅氏は菅礼之助のご子息だったということだ。

私は、菅氏の薫陶を受けた事務局の大先輩たちにしごかれ、また取り立ててもらったが、大先輩たちが、「すがさんは、人格者で洞察力も素晴らしく、知見も深かった」と繰り返し話していた。そこで私は、「すがって、どういう字ですか?」と聞き返したことがあった。

民主党政権の菅直人総理は、「かん」である。歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』の菅丞相、菅秀才は、もちろん「かん」であり、どうやら西日本では、「菅」を「かん」と呼ぶ苗字が多いようだ。「菅」で「すが」と読む苗字の人がいると、私は当時、知らなかったわけだ。

その菅新総理が頭角を現したのは、自民党の行革本部事務局長に就いた頃だと思う。その頃、私は自民党本部内にあった事務局長室に日参していた。もちろん、菅礼之助、そのご子息と遠戚があるなど知らないままにお話ししていたのは、誠に不覚だった。

そういえば、現在のひとつ前の経団連会館は、菅礼之助が募金委員長となり資金を集めて建設されたものである。私はあの経団連会館が好きだったので、その意味でも菅さんには頭が上がらない。
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TATSURO NAGASE

私は菅礼之助の孫です。菅義偉氏が菅礼之助の遠戚と書かれていますが、縁戚ではありません。菅義偉氏の父の和三郎氏が満州鉄道に勤めることになったのには、同郷の菅礼之助が取り持った可能性はあります。
経団連に勤めていて早く亡くなったのはお書きになっているとおり菅礼之助の三男です。「新版 俳人菅裸馬」(角川文化振興財団)は参考になるかもしれません。
by TATSURO NAGASE (2021-01-14 22:33) 

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