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米国の情勢は混迷から混沌へ [日記]

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RICOH GR

米国大統領選挙は、前代未聞ではないが、法廷闘争に至る展開が確実となった。日本のメディアには米国政治の専門家たちが次々に登場して、様々な角度からコメントしているが、聞けば聞くほど分からなくなる。米国は不思議な国であり、しかも連邦から独立して州が、日本でいえば国家的な制度の運用もしているので、余計に分からなくなる。

とはいっても、次期大統領は来年の一月に必ず就任するわけで、今日もその流れに中で米国の複数のメディアがバイデン氏の勝利を報じた。最後に判断するのはメディアというのは、日本とそれほど変わらない。バイデン氏の当選確実が報じられたとき、トランプ大統領はゴルフを楽しんでいたという。週末、自分の判断で自由にできる時間だからということだろうが、新型コロナウイルス感染者が毎日、10万人を超える米国の大統領としてというより、人間として何かが抜けているという印象が強い。これがトランプ大統領のスタイルであり、国民生活に対する意識なのだろうか。そうした大統領の素性を米国民の過半が忌避したために、トランプ大統領の二期目がなくなったということか。

今回の大統領選の最中、米国の社会分断を目の当たりにして、識者は、「民主主義の危機」と声をあげていた。民主主義といってもそれは虚構、フィクションである。なにも厭世的にこう言っているのではなく、イスラエルの文明史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏のいうところの共同主観的現実そのものだからである。

ハラリは、その共同主観的現実を虚構と言い換えているが、その虚構を信じることさえ続けていけば、人間社会では必ずブレークスルーが見えてくる。それは一つの正解ではないだろうが、いくつか考えられる解を組み合わせて考えていけさえすれば、落ち着くところに落ち着く。その能力を持っているのは人間だけだと、ハラリはいうのである。

米国の混迷は、その共同主観的現実が崩れ始めているためかと思うのだが、共和党支持者の家のお隣は民主党支持者であった場合、日常、一切、言葉を交わさなくなるというのならば、民主主義というよりも社会という共同主観的現実がとたんに崩壊してしまう。その時、混迷は混沌へと移り、米国民はより根源的なところで社会を再構築することを強いられる。

法廷闘争は意外とあっさり終わり、バイデン大統領が政権の準備に入るという見方が強いようだが、そうだとしても、少なくとも民主主義は共和党支持者の側から破棄されかねないというのが、米国の現状なのではないか。

もはやイスラムや中国のような仮想敵を相手に米国民が団結する手法は通用しない。米国そのものの危機には、米国民の共同主観的現実への目覚めが欠かせないと思うばかりである。


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