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地方圏における差別の実相 [日記]

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尾道でのホリエモン事件、そのエピソードをもとにした所感の二つ目を書きたい。それは、地方圏における根深い差別意識である。

新型コロナウイルスの感染拡大は、当然のことながら人口が多く人口密度も高い大都市圏が中心だったといえる。4〜5月の緊急事態宣言発令時は、東京でも平日のオフィス街、土日祝日の繁華街から人影が消えた。ロックダウンという形はとらなかったが、人々の協力のもとで人と人との接触を極力、避け、山場を乗り切った。

感染者の数の数でいえば、現在、第2波の終わりであり、非常事態宣言がとうに解除された今、この場に至っても首都圏からの来訪者を忌避する人々が地方圏には存在するのだ。ホリエモンが「出ていけ」といわれたのは、そうした首都圏からの来訪者は店に入れたくないという意識を店主、従業員が持っていたからに違いない。

かくいう私も、夏前に鳥取県の某自治体の職員、及び主要産業である水産加工業の役員から、「仕事でも来ないでほしい」とメールでいわれた。政府から自治体に予算が出る事業において私は、自治体にアドバイスをする役割を与えられていて、例年なら二度は当該の自治体に出向いてきた。報酬の少ない国の事業で、いわば社会貢献のつもりで取り組んできた。

しかし今年度は、コロナ渦、出張ができず、しかも同自治体のIT化が極めて遅れていて、最近、デフォルトで使われるようになったZOOMでの会議もできず、その打開策すら打ち出されないままに、企画だけがメールで送られてきた。隣県の先進地域の視察であったが、私自身もこの目で見たいと関心を示すと、スケジュールが決まっていないにもかかわらず、「来ないでほしい」といわれた。

その理由は、市内の水産加工会社で感染者が出て、それが外国人労働者であるとするデマが市内に広まっているからだという。それと私の訪問がどうつながるかが即座に理解ができなかったが、要するに首都圏に居住し働く者と接することで、新たなデマのたねになりやしないかという心配からであった。

本来であれば、行政が市内に溢れるデマを人権上の問題として取り上げ、強く否定する役割を果たさなければならないところだが、そうしたことはせず、率先して他地域居住者の来訪、あるいは接触がデマの原因になるという理由で、国の業務遂行を拒否したのである。

ホリエモンがどのような目的で尾道を訪れたか知らないが、私が国の事業で仕事をしようにも、補助金を得る側の自治体でそのような忌避の姿勢を頑なに崩さないのは誠におかしなことだ。率先して人権意識の啓蒙に取り組まなければならない自治体職員が、差別的なメールを送ってくるという事態、深刻に受け止めざるを得ない。

私は、事業担当の中央官庁の担当者に話をして、厳重注意を要請し、謝罪のメールが当該自治体担当者から届いたが、私自身、それを許すつもりは毛頭ない。

周知の通り、居住地による差別といえば、部落差別がある。平成28年に施行された「部落差別の解消を推進する法律」では、いまなお部落差別が存在していることが明記されている。首都圏に住んでいるとその実相は見えにくいが、地方圏ではいまだに被差別部落の地区が特定され、特別視されている。その習いが、コロナ渦で表面化したといえるのだろう。あまり考えることなく、自身が住む場所と異なる人々を忌避する差別意識だ。

「あそこに住むものはダメだ」という意識を私のような首都圏在住者は普通、持たないものだが、地方圏では、あたかも居住地自体が合理的な判断の基準のようにされているのかもしれない。

ホリエモンほどの有名人ならば、どこから来たかはすぐに分かる。一般人でも、少し会話をしただけでよそ者だと分かるだろう。「そういう客は要らない」「仕事だろうが、来るな」という言葉が発せられる状況は、地方圏に未だ残る部落差別の文脈から理解するほかない。

私の高校の大先輩に、今井正という映画監督がいた。住井すゑ原作の「橋のない川」を映画化したことで有名だが、高校時代、学校の講堂で観た「橋のない川」が私の人権意識の原点となっている。地方圏では、そういう教育がなされてきたのだろうか。ただただ、懸念を深めるばかりである。
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