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良いことのない令和の時代 [日記]

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RICOH GR

令和3年の正月、令和になって二度目の正月である。
個人的には、この1年と8カ月、新しい仕事を始めたり、初孫ができたりと、嬉しい出来事が続き、楽しい時間を過ごせているが、日本は令和になってから良いことがない。
改元のなった一昨年の5月には川﨑で、スクールバスを待つ児童、父兄が通り魔に殺傷されるという事件が起きたが、10月にも京都アニメーションの第1スタジオに男が侵入し、ガソリンをまいて放火、36人が死亡するという事件が起きた。いずれも不満の矛先を罪のない者に向ける事件だった。
自然災害もひどかった。9月、10月に台風被害が相次いだ。台風15号では、暴風により千葉県で大規模かつ長期の停電が発生、台風10号では土砂崩れなどで死者90名という犠牲者を出し、21号では各地の河川が氾濫した。加えて、世界文化遺産の沖縄・首里城が焼失する悲しい出来事もあった。
令和2年に入り、新型コロナウイルスによる感染拡大により4月、5月と「緊急事態宣言」が発出された。経済社会活動が止まり、小規模事業者や雇用者の苦境が深まるとともに、小中高校が長期間、休校になり、大学生に至っては未だに学校に通えない状況が続いている。10万人あたりの死亡者が欧米諸国に比べて圧倒的に少ないにもかかわらず、特に地方圏において集団ヒステリーの状態が起こり、感染者だけではなく、大都市圏で仕事、勉学に勤しむ同郷者の帰省を拒絶するといった、差別、誹謗中傷までが起きている。それはひとえに、国、地方の政治のリダーシップ不在に原因がある。具体的にいえば、感染症専門家や医師会幹部の声に引っ張られ、経済社会活動と感染防止の適切なバランスをとることができず、また人権問題への対応も全くできていないからだ。これでは国民の不満は、多様なかたちで高まるばかりだ。
三密を避けなければならない状況のなかで、大規模な自然災害は2年連続で発生、7月に九州各地が豪雨災害の被害に見舞われた。もし人口密集の大都市で震災などが起きたら、避難所の開設、運営はどうするのか、想像するだけでも恐ろしい。自然災害を「想定外の事態」と片付け続けてきた国、地方の行政の不作為は看過できない。
結局のところ、このような政治行政の体制では、自然災害も新型コロナウイルス感染拡大もなるようにしかならない。国民は、いわば自分自身の運の強さに頼るほかない。それは誠に不幸なことである。
もちろんこうした非常事態での混乱を招いたのは国民の側にも責任がある。国政選挙の投票率は年々低下、5割近くの有権者が棄権している。行政に対する監視もほとんど行われてない。それによって非常事態への備えや対応が何度も失敗するのだ。
一見、不可抗力と思える事態にも政治や行政の対応次第で国民の心は安定するものだが、令和の時代に入ってから全てにおいて逆の目が出ていることは、現在の政治行政の対応能力が限界となり、早急にリセットしなければならなくなっている証左なのかもしれない。コロナ渦であっても、失業も給与カットもない政治家、行政職員の無作為は、この先、何度も悪夢といえる事態を招くばかりである
そのようなことを考える令和3年の正月である。

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