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写真日乗2018/05/29〜果たして「切られ与三」は???〜 [日記]

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撮影:2018/05/21 於:渋谷
RICOH GR

与三、あるいは与三郎といっても、現代人はほとんど知らない。

知人に木更津在住の女性がおり、この名前を口にしても、「知らない」という。それならばと、「死んだはずだよお富さん 生きていたとは お釈迦様でも 知らぬ仏のお富さん」という歌の歌詞を口ずさめば、「それならば知っている」という。「木更津の商店街でなぜか流れている」ともいう。いわれが分からないまま、聴いていたことになる。

この「死んだはずだよお富さん」と口走るのが与三である。今月は、その舞台をコクーン歌舞伎で観た。

歌舞伎の名作「与話情浮名横櫛」は、九幕の大長編である。
小間物問屋の養子(実は武家の子息)の与三郎が木更津でやくざの大親分の愛人お富に惚れ、密会の現場を親分に踏み込まれ、殺されはしなかったが、見るも無残に切られ、お富は身投げをする。与三郎は生き残り、お富は死んだはずだったが、日本橋の妾け街(玄冶店)で妾となり生きていたというお話だ。

歌舞伎だと、最初の見初めと逢い引き、妾の家(源氏店と名前を変えている)だけがよくかかるのだが、今回観たコクーン歌舞伎では、通しの上演を目指した。とはいっても、大長編ゆえ、コクーン歌舞伎で設定した3時間15分で収めようとするとやはり無理が出る。舞台美術も歌舞伎のような廻り舞台は使えないから、移動可能なセットの置く場所を舞台に上がる俳優陣が動かし工夫していくが、ごまかしきれない。その動きは、現在の演劇ではよく使われる手法、まあ仕方ない。
また、途中で裃を身につけた俳優たちが、代わる代わる話の筋を客に伝えていくのだが、これも歌舞伎の口上などの代わりだろう。そういう意味で、これは歌舞伎のような歌舞伎ではないようなものとして観た。お話も割愛あり、付け足しありで、「異本」そのものである。

主役級は、与三の中村七之助はじめ、歌舞伎俳優だが、脇役たちは普段、現代劇に出ている俳優たち、みなツボを押さえた演技でうまい。串田和美の演出、木ノ下裕一の手による台本で、歌舞伎を普段見ていない者には、話の展開の面白さもあって楽しめるが、歌舞伎と銘打つのならば、やはりもう少し多くの場面で歌舞伎様式を取り入れ、じっくり見せた方が良かったように思う。
特に2幕目は、話の筋の説明に終始したような感じでうとうとしてしまった。会津屋という男が出てきてお富に惚れ妾にする。この行は、原作にはないのではないか。わざわざ原作に出てこなない者を入れる余裕があるならば、江戸後期から明治の世話物によく見られる歌舞伎様式をうまく取り入れ、使っていれば客の理解が深まるはずだ。

これまでお富は経験はある中村七之助が与三を勤めたが、お富が若手の中村梅枝ゆえ、コンビとしてはまだまだとう感じ。そもそも七之助は女形である。歌舞伎では、福助のお富が色気があり絶品だったが、そのレベルを求めるのは酷というものだろう。

コクーン歌舞伎では常連の中村扇雀、片岡亀蔵、笹野高史などがうまい芝居をしていて、なんとかまとまったが、これから上演を重ねながら改編をしていくことで、本物のコクーン歌舞伎「切られ与三」になるのだろう。


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