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写真日乗2018/06/22〜祭礼のなかの狂気〜 [日記]

20180620_dsc4091

撮影:2018/06/20 於:東京・歌舞伎座
SONY α7RⅡ Sonnar T* FE 35mm F2. 8 ZA 

定年退職をして、宮仕えのある職の斡旋を断り、フリーランスの道を選んだが、その最大のメリットは、こうして平日に歌舞伎を観に来られることだ。今月は、二日続けて、昼の部、夜の部の順で大歌舞伎を観た。

六月歌舞伎は、幹部俳優が多数、出演する華やかなもの。昼の部では菊五郎、左團次、時蔵が、夜の部では吉右衛門、雀右衛門、芝翫がそれぞれ持ち味を出した。私は、昼の部の一部と夜の部全てを観たが、印象に残ったのは、圧倒的に夜の部である。
最初の演目は、「夏祭浪花鑑」である。1745年に人形浄瑠璃、歌舞伎と相次いで上演された人気演目で、大坂堺で起きた魚売りによる殺人事件を題材にしている世話狂言である。270年も前の作品が、いまだ人気演目として舞台にかかり続けているわけだが、平成に入ってからでも27度目、これはすごい話である。
「夏祭浪速鑑」といえば、中村屋のものが有名だ。18世勘三郎は勘九郎時代から12回も主人公の団七を勤めている。義太夫狂言、それも大坂竹本座初演というから、上方のものだが、台詞回しにはいろいろなものがある。私がDVDでもっている17世勘三郎の歌舞伎座での上演では、勘三郎の団七の台詞は上方の言葉とも、義太夫風とも感じられないもので、江戸の世話狂言そのままである。しかし、同じ舞台で相対する三婦役の13世仁左衛門は義太夫そのもの。
それで違和感を感じるほど、私は「夏祭浪速鑑」をいろいろなかたちで観ていないが、今回、吉右衛門の団七、歌六の三婦では、正統な義太夫の味が存分に出ていた。おちゃらけた部分もなくはない冒頭でも、笑わせるだけではない、唸らせる芸である。それは吉右衛門のみならず、歌六、そして徳兵衛の錦之助、お辰の雀右衛門にもいえる。吉右衛門の伝統を継承しようとする硬い意志が出演者に乗り移ったような舞台だった。
やはり見物は、大詰の長町裏の場、親殺しは狂気そのものだった。深川八幡の祭り囃子が聞こえるなかでの殺しである。舅の義平次を勤めた橘三郎と団七の吉右衛門のやりとりは、実際に270年前に起こった殺しを目の前で再現しているように感じさせた。団七がトドメをさした後に、祭の群衆が現れるあたりは、正に狂気である。
夜の部の二つめは、「巷談宵宮雨」である。宇野信夫の作であるから、新歌舞伎に属するものだが、最初におかれた「夏祭浪速鑑」と同様に、人を殺めた者の物語である。怪談物でもあるが、それ以上に、貧しい市井の人びとの生活を丹念に描いていて、私のルーツである芝・金杉橋にある寺などが出てくる。深川に住む太十は松緑、女房おいちが雀右衛門で、そこに芝翫が勤める太十の伯父の生臭坊主、龍達が引き取られてくる。龍達の女癖の悪さから、花屋の娘との間に子(児太郞)を設け、太十夫妻に託したが、その太十も借金のカタに医者の家に妾奉公に出してしまった。このあたりは、新歌舞伎とはいえ、昭和の初めのこと、貧しい家の人々の境涯が描かれている。
世話狂言ではよく出てくる百両を巡り、殺人事件となっていくわけだが、毒殺とその後の幽霊の出現であるから、四谷怪談風であり、それも四谷怪談と同じく、欲惚けの者たちの悲しい帰結。そうした視点で観れば、分かりやすく、おどろおどろしい。芝翫の龍達は、芝界隈の僧侶であり、芝の言葉にリアルさを感じたが、六世菊五郎、十七世勘三郎という名優が好んで勤めた芸だとすれば、これから何度か勤めていくことで、さらに面白い生臭坊主となっていくように思う。相対する太十を勤めた松緑は、この人の十八番になる可能性を強く感じた。おいち役の雀右衛門もよく、今回は24年ぶりの上演だというが、2、3年に一度はかけてもらいたい演目である。


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