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写真日乗2016/12/23~「仮名手本忠臣蔵」最終月~ [日記]

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撮影:2016/12/23 於:東京・国立劇場
Ricoh GR

国立劇場開場50周年記念として「仮名手本忠臣蔵」の通し上演が10月から3カ月にわたり行われてきたが、それもいよいよ最後となった。八段目「道行旅路の嫁入」、九段目「山科閑居の場」、十段目「天川屋義平内の場」。十一段目「高家表門討入りの場、広間の場、奥庭泉水の場、柴部屋本懐焼香の場、花水橋引揚げの場」である。休憩を入れてほぼ5時間の長丁場である。

まず八段目の道行きだが、戸無瀬が魁春、小浪が児太郎。特に面白い道行きではなく、舞踊としても見所が少ないもの。背景の変化と浄瑠璃、三味線を楽しめば良いというところか。しかし、場としては、継母の戸無瀬が許嫁の力弥に娘・小波を会わせるためはるばる山科を訪れるというものであり、小波の父、本蔵との親子物語の伏線となる。その後起きる悲劇を感じさせなければならないと思うが、そういう視点で見れば、魁春の戸無瀬は今ひとつ、児太郎もかわいらしさだけの舞台だった。
九段目は、大作である。幸四郎が本蔵を勤めたが、その人が台詞を語り芝居をし始めると良い意味でも悪い意味でも、舞台ががらりと変わる。観る者を楽しませるという意味では大役者だが、この忠臣蔵の作者が本蔵の存在を創作した意味合いを観る者が理解しようとしないまま、ある意味、娯楽としてこの2時間近い重苦しい一場を見終えてしまうのは問題かもしれない。由良之助の妻お石は笑也。とても大切な役だが、義太夫狂言の味の薄い現代劇中の芝居に感じてしまった。大星由良之助は梅玉だったが、この場ではこの人のニンなのか疑問符がついた。
十段目は、これもあまり上演されない義平内である。結論を先にいえば、この3カ月、通った甲斐があったと感じさせる舞台だった。塩冶家臣を支援する商人の義平の思いを由良之助が自ら仕組んだ芝居で確かめようとした。これも創作だが、「山」「川」という討ち入り時の合い言葉を、「天」「川」とこの屋号から取ったというお話とした。義平は歌六、今月の諸段一番の出来だったと思う。さすがに歌六のただ一言。「天川屋義平は男でござるぞ」の名台詞を初めて聞いたが、商人とはいえ、元禄の世を揺るがした大事件への思い入れを表した場として、作者たちが創作した意味を深く理解することができた。義平女房お園は高麗蔵。なかなかの好演だった。またこの段のあたりから由良之助の梅玉は、その雰囲気が出てきた。
いよいよ最後が十一段目、討ち入りである。活劇的な派手な演出である。普段、かからない「高家広間」や「花水川橋引揚げ」が加わり、全五場だが、一番落ち着いてみることができるのが、最後の「引揚げ」だった。若狭之助は左團次が勤めたが、本懐を遂げた塩冶家臣らを迎え涙する場面は、なかなか良かった。殺陣では、やはり小林平八郎を勤めた松緑が圧巻だった。身体の切れは、日頃のトレーニングのたまものか。この舞台を勤めている間、終わると必ず皇居の周回コースでランニングをしていたというから驚く。
歌舞伎役者がアスリートであることを示すものである。


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