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写真日乗2017/02/24~江戸の猿若~ [Summilux-M 35mm f1.4 ASPH]

L1000182ver3
撮影:2017/02/24 於:東京・歌舞伎座
Leica M10 Summilux 35mm f1.4 ASPH.

2月の大歌舞伎は、「猿若祭」と銘打った興行。寛永元年(1624年)2月に初代猿若勘三郎が京橋に猿若座の櫓を上げたのを記念したものだ。

江戸歌舞伎の原点が、官許三座のうちの猿若座、のちの中村座であり、その家系を継ぐのが中村屋ということである。十八世世勘三郎亡きあと、中村屋の二人、勘九郎と七之助は、もちろん歌舞伎座の舞台に立ってはいたが、印象が薄かった。コクーン歌舞伎では評判をとっても、やはり大歌舞伎の舞台での活躍を私は期待していた。
今回は、勘九郎の二人の息子が初舞台を踏む。勘太郎と長三郎である。その目出度い舞台を松竹は、「猿若祭」と銘打った。人気役者だった十八世に比べると、勘九郎も七之助もまだまだである。二人を盛り立てるために、菊五郎が座頭となり、多くの幹部俳優、中堅実力者が揃えた舞台である。
私は今日、プレミアム・フライデーを利用し、昼の部の三幕目を幕見で観て、引き続きチケットを押さえてあった夜の部を観た。
「四千両小判梅葉」は黙阿弥策の狂言、なかなか良い話だが、数年に一度しかかからない。私は、前回、新橋演舞場でかかったときに、今回とほぼ同じ出演者で観ているが、菊五郎劇団十八番の演目だと改めて感じた。菊五郎の富蔵は、実にさっぱりしたもので、江戸の粋な悪党という雰囲気である。梅玉勤める浪人・藤岡藤十郎(富蔵が父の代から仕えた武士の子息)を誘い江戸城の御金蔵から四千両を盗み出す。その後、盗んだ四千両をめぐり富蔵と藤岡は争いになるが、やはり富蔵が一枚も二枚も上手、肝の据わったところを見せるが、ここはさすがに菊五郎の芸の賜物である。
二人は結局、捕らわれて伝馬町西大牢に入牢するが、その途中、富蔵は熊谷の荒川土手で妻子(女房・おさよが時蔵)、舅・六兵衛(東蔵)と出会う。離縁状を既に出しているとの理由で、他人だと言い張る富蔵に、警護役の同心・浜田左内は腹痛を偽って、その場からしばし立ち去り、最後の別れとなる。
このあたりの風情は、江戸歌舞伎の人情溢れるもので、今日の舞台も役者がそろい秀逸だった。牢獄では、牢名主・松島奥五郎(左團次)などが居並ぶ。この場は、当時の牢獄の風習が見事に再現されていて、面白く見ることができる。
そして仕置きへ。引廻し、磔の刑に処せられることが閻魔堂で告げられ、刑場に向かう富蔵と藤岡。これも歌舞伎が残す江戸の法なのだ。悲しいが、すっきりした舞台は音羽屋ならではのものだ。当代の菊五郎、先代松緑などが手がけたこの「四千両」をぜひ後世まで残してほしいものだ。
夜の部はまず、「門出二人桃太郎」で勘九郎の長男と次男が三代目勘太郎と二代目長三郎を名乗っての初舞台。今日は24日なので、初日から23日目、よくここまで頑張ってきたと思う。勘太郎は、すでに役者然としていて心強い。長三郎は兄の背中を追っていけばよいので、中村屋も安泰だ。
次は、「絵本太功記 尼ケ崎閑居」である。光秀が竹で実母を秀吉と誤り突いてしまうお話である。義太夫狂言の大作で、私は国立劇場で人形浄瑠璃を観ているが、「歌舞伎は派手だ」という印象を強く持たせる舞台だった。光秀は芝翫、母・皐月の秀太郎、妻・操の魁春、嫁・初菊の孝太郎。女形はみな、竹本の語りに乗る人形振りだったが、芝翫のそれはモダンな現代の歌舞伎そのもの。そのアンマッチが気になった。
夜の部最後は、「梅ごよみ」である。勘三郎と玉三郎で幾度もかけられた面白いお話。深川芸者の仇吉(菊之助)と朋輩の米八(勘九郎)は、イケメンの丹次郎(染五郎)を巡って争う。しかし、丹次郎には可愛い許婚・お蝶がおり、その女三人が複雑に絡み合いながら進む舞台だ。幕末の人気戯曲家・為永春水の人情本「春色梅児誉美」と「春色辰巳園」をもとにして、昭和初期に脚色されたものだとのこと。
私には、深川芸者の性分などわからないが、タンカの切り合いはなかなかのもの。しかし、後半にはいって舞台がだれてしまったように思う。これからもこのトリオでかかるだろうから、玉三郎の指導を仰ぎつつ、工夫も凝らして良いものにしていってほしい。
因みに芝居では結局のところ、丹次郎は許婚・お蝶と結ばれる。そこには近松のような悲劇性は全くない。そのあたりが江戸の人々には受けたのではないだろうか。


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