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写真日乗2017/02/25~叔父、吉田大朋のこと~ [Summilux-M 35mm f1.4 ASPH]

L1000219ver3
撮影:2017/02/25 於:横浜市・鶴見
Leica M10 Summilux 35mm f1.4 ASPH.

写真家の吉田大朋が亡くなった。一応、親戚筋なので、呼び捨てにさせてもらうが、私の血のつながった叔母のつれ合いであり、大学時代までは、私がその次女、すなわち従兄弟の家庭教師を務めていたので、よく青山の自宅に出入りしていた。

写真家は、様々なジャンルの仕事をするが、大朋はいわゆるモード系、ファッション系の写真家だった。60~80年代にパリでヴォーグやエルのグラビアの写真を記名入りで撮っていた。大朋のパリでの活躍は、日本でも驚きの眼で見られていた。まさに、この分野のトップランナーが大朋だったということだ。
私の記憶が正しければ、パリのあとニューヨークに行き、さらに東京に戻って、立木義浩、篠山紀信、坂田栄一郎、立木三朗、加納典明などと創刊したばかりの an an でグラビアを撮っている。パリでエルの専属となって、もてはやされ、東京でもブームをつくった雑誌に係わったにもかかわらず、ニューヨークではダメだったという記憶が私には強く残っている。実際のところは、どうだったのかわからないが、本人からもそのように聞いた記憶がある。ニューヨークで成功するには、実力だけではない「何か」が必要なのだと、叔父の仕事から感じ取ったわけだが、いま、トランプ大統領の成功などと重ね合わせてみれば、納得はゆく。
私は中学時代から写真にのめりこんでいたが、その被写体は極寒の季節、北海道で鉄道員たちが動かす蒸気機関車だった。大朋から一度だけ、「うちでやってみないか」と誘われたことがある。従兄弟の家庭教師の時間が終わり、いつものように叔母手作りの夕食を食べていたときだったと思う。即答は避け、「一度、スタジオに来いよ」ということで見学に行った。北海道の大自然のなかを走る、煤だらけの蒸気機関車とは正反対の世界に面食らった。
そのとき、心の中で叫んだ「こんなちゃらちゃらしたものは撮れない」という想いは、いまでも心になかに残っている。大学もまあまともなところに入り、そこからいまの職場に入って働いていた20代前半まで、大朋家との親密な付き合いは続いたが、私が大朋のもとに飛び込まなかったこともあり、その後、疎遠になってしまった。でも、あの時は自信が無かったというだけなのかもしれない。モデルの女性とどう口をきいてよいのか分からなかった私がそもそも、あの世界で仕事をすることはできなかったろう。
今回の訃報は、10日ほど経ってから知らされた。従兄弟は近親者だけの葬儀を済ませてから、私の母に連絡してきた。叔母もすでに他界しており、当然だろう。
最近私は、ポートレートを撮ることが多くなったが、あの時、モード、ファッション写真の世界に飛び込み、写真を職業にしていたら、いま何を撮っているだろうか。人を撮ることに飽き飽きし、風景でも撮っているのかもしれない。


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