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写真日乗2017/03/15〜仁左衛門、時蔵、梅玉の「碇知盛」〜 [日記]

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撮影:2017/03/15 於:東京・大手町
Leica Q Summilux 28mm f1.7 ASPH.

仁左衛門の渡海屋銀平、実は平知盛が評判である。仁左衛門にとって、『義経千本桜』の「渡海屋」「大物浦」の舞台は6年ぶりだという。先日、幕見で観てきた。

この人の義太夫狂言のうまさは、現代歌舞伎では最高の水準をゆくもので、世話物の菊五郎と双璧である。1月に大阪松竹座で観た『恋飛脚大和往来』の「新口村」にせよ、昨年6月の「いがみの権太」にせよ、人形浄瑠璃をよく研究した舞台は、いつも感心させられる。和事も時代ものも、奥深い役づくりで真摯に勤めている、その姿に、ただただ頭が下がる。
一度、大病を患い、数年前にも肩を痛め手術をした上、体調がいまひとつだったが、このところ充実した舞台を見せてくれていて、私はいける範囲で、仁左衛門を見に劇場に通っている。
今回は、知盛であるが、昨年6月の歌舞伎座での通しでは、染五郎が知盛を、また典侍の局が猿之助と新鮮な組み合わせを観た。今回は、局が時蔵、梅玉の義経と文字通り、役者が揃った。時蔵はなんと初役であり、それもびっくりするのだが、この三人での「渡海屋」「碇知盛」は、まさに最高レベルの出来映えであった。
みな、台詞回しも義太夫に乗る姿も実にすばらしく芸術的である。特に仁左衛門の知盛は、源平の戦いのなかで起きる悪行、愚行の果ての姿であり、きれいすぎる染五郎のそれとは比較してはならない。
歌舞伎の真髄は、史実に登場する実在の人物をいまに再現させることだが、演ずる役者の解釈により、その歴史上の人物の心が時代を越えて深く伝わってこなければならないと思う。知盛が自らの船問屋から出た義経を追い、討ち果たすことが叶わず、逆に深手を負うことになり、最期を迎えるという悲劇が、単に悲劇としてだけ描かれるだけでなく、人の道の教訓として描かれているところに感銘を受けた。


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