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写真日乗2017/04/13〜旧友たちとの思い出〜 [日記]

L1040462ver3
撮影:2017/04/12 於:東京・銀座
Leica Q Summilux 28mm f1.7 ASPH.

今宵、旧友たちと会食した。茨城つながりといえる仲間である。

みな中央官庁から茨城県庁に出向した面々である。私は民間人であり、県庁へ出向はしなかったが、彼らが出向していたときに、今働いている組織で常磐新線の建設と沿線開発の企画を担当しており、知り合った。
常磐新線は、いまはつくばエクスプレスという通称で呼ばれているが、もとはといえば、第二常磐線として1978年に茨城県が構想したものである。1985年には、国の運輸政策審議会答申に「常磐新線の新設」が盛り込まれ、運輸省と関係自治体、そして民間企業の協議が進み、整備方策の基本フレームが合意された。
私はその合意前後から、新線建設のプロジェクトにかかわり、官民の関係者が参加する協議会という組織体で沿線開発のプランを練ったり、鉄道建設に必要な民間出資のとりまとめなどの作業をあたった。いわば、プロジェクトを軌道に乗せるための仕事をしてきたわけだが、その後、第三セクター方式で首都圏新都市鉄道株式会社ができたあたりから、当初の目的は達したということで、この仕事から離れた。
開業は、当初予定の2000年から5年遅れた2005年8月だったが、そのときの式典などに私は招待されず、正直、失望した。その話は、今宵再会した旧友たちに何度も話したが、やはり第三セクターの会社の体質だろう。ハイレベルの責任者を含め出向者が多くを占めており、帰任すれば、それまでの人脈の承継がなされず、誰が重要な仕事をしたのか、時間の経過とともに、あやふやになっていく。鉄道建設と沿線開発という行政とのやり取りの多い仕事ゆえ、目の前の仕事をこなして無事帰任することが彼らの目標となっていたのではないか。
中国では、井戸を掘った人を大切にするというが、日本ではそのような感覚がそもそもないのか。つくばマラソンの参加のときくらいしか使わないつくばエクスプレスだが、乗るたびにあの頃、奔走した人たちの名前と顔が浮かぶ。私にとっては、30代で初めて携わった組織を超える仕事の進め方が大きな経験となり、いまでもそのメソッドが活用できている。そのことは、私の職業人生でも有益だったといえる。


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